那覇市民会館の存続を求める要望書

歴史的建築物の評価・保存に取り組む建築士らでつくる団体「DOCOMOMO Japan(ドコモモジャパン)」が、
2013年2月13日、老朽化に伴い移設計画のある那覇市民会館の存続を求める要望書を、
翁長雄志市長と市民宛てに提出しました。

県庁で開かれた記者会見でメンバーは、
沖縄の伝統的な民家建築を現代風にアレンジした同会館の構造価値を評価し、
一括交付金を活用した保存活用など、残す視点に立った議論の必要性を指摘しました。
(2013年2月14日付 沖縄タイムス紙にて既報)


以下に、DOCOMOMO Japan が那覇市に提出した存続要望書をご紹介します。
ご一読いただき、ぜひ、あなたにもお考えいただけたらと思います。

那覇市民会館の存続を求める要望書


(下記では原文をテキストでご紹介しています)


那覇市長 翁長雄志 様
那覇市民の皆様                           

2013年2月13日 

DOCOMOMO Japan 代表  鈴木 博之 
アトリエ ネロ 代表 根路銘 安史 (DOCOMOMO正会員)


『守禮之邦』への願い  那覇市民会館の存続要望書

はいさい! ぐすーよー ちゅううがなびら。(皆様こんにちは)
 
本会は20世紀の建築における歴史的・文化的な重要性を認識し、
その成果を記録するとともに、それに関わる現存する建築とその環境の保存を訴えることを
目的のひとつとする国際的な非政府組織の日本支部です。

那覇市民会館(1970年、設計金城俊光・金城信吉)を日本近代の重要な建築のひとつと認識し、
2006年に「DOCOMOMO Japan 125選」に選定させていただきました。

この度、那覇市民会館のあり方に関する基本構想の検討がなされているとお聞きしました。
全国的に景観法等が制定され地域性が問われる昨今、固有性のある文化的歴史的持続性が必要です。
その意味において、那覇市における那覇市民会館の存在価値は大変大きいものです。
那覇市の中心部与儀公園に隣接して建てられたこの那覇市民会館は、学校関係の行事や成人式を祝い、
琉球芸能や音楽や踊りオペラ等、戦後沖縄文化の殿堂として活用されてきた代表的建築物です。
いわば、沖縄の文化を育んでくれた、那覇市の神あしゃぎ(聖地)です。

『“ていんさぐの花”親が話す教訓を肝に銘じ、そして、年寄りを大切にしなさい』
この歌は沖縄の人なら誰でも知っている歌です。
老人達が歴史を語るように建物や街もまた、それぞれの時代、歴史を語り伝えていく、
それが、成熟した街、深みのある沖縄の文化を育むために絶対に必要なことです。
観光を主要産業としている沖縄県で、
世界遺産、首里城のある那覇市に本近代建築のある意味は大きいと存じます。

沖縄の建築家が造り上げた、現代建築の原点「那覇市民会館」こそが
歴史を語り継ぐ価値ある資産だと思います。
戦争で焦土と化した沖縄は、建築文化の空白地域ができました。
その戦後の復興と新しい沖縄の建築文化の創造を目指し、
那覇市公会堂(那覇市民会館)は設計競技(コンペ)方式を取り入れました。
審査委員長の大江宏氏(法政大学教授)は、
「この作品は、一貫して新しい設計技術と風土的伝統を新しい市民活動のなかに生かそうとする
堅実で積極的な姿勢が表れており、その意味で今後の『公共建築のひとつの指標足り得る』と信ずる。」
と裁定理由書に評しています。

沖縄の民家建築の雨端(アマハジ:天と地の境、内と外の中間地帯)や
屋敷囲いの石垣、ヒンプン(目隠し、魔除け、風よけ)などを取り込み、
現代建築に再考して「光と影の建築」を表現し、沖縄の風土的特性が無理なく生かされているこの作品は、
沖縄の現代建築の流れを変えていったとも言われています。

街づくりにおいて沖縄らしさが求められていますが、
那覇市民会館は、建築でそれに応えてくれた建物です。
その建物が無くなるのは沖縄の大きな損失となります。
昨今、言葉も建築も同様に大切なものがどんどん捨て去られていますが、
島クトゥバ(沖縄の言葉)を大切にしたいと願う皆様の心を那覇市民会館にも向けてほしいと思います。
このかけがえのない建物を大切に使用し、後世へと継承されますよう、格別のご配慮をお願い申し上げる次第です。 

どうでぃん、ゆたさるぐとぅ うにげーさびら。(どうかよろしくお願いします)


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